世界マンガ紀行 台湾編

食べ物は美味しく人は親切。同じ漢字文化圏でどことなく懐かしくて落ち着くし、「日本人はみんな大好き!」といいたいくらいファンの多い台湾ですが、実は世界の中でも台湾のマンガは最も日本とかかわりが深い――ということはあまり知られていません。でもオタクのみなさんの中には、台南の都市・高雄の地下鉄の擬人化=「高捷少女(たかめしょうじょ)」は知ってる!とか、艦隊擬人化では、台湾の「鋼鉄少女」の方が、「艦コレ」より早いんだよね、と知ってる方もいるかもしれません。

私自身も台湾のマンガ文化についてきちんと認識したのは、2014 年秋にまさに高雄で開かれたマンガサミットに米澤英子さんとともに参加し、そのあと台北に移動して書店や出版社、多数のマンガを収蔵した図書館などを回って調査を行ってからのこと。
その後、シンガポールで在外研究中の2016年12月にも調査で訪れて、同人イベントComicWorld Taiwan44に参加し、つい最近、今年10月にも、台北で開かれたComic Horizon百合オンリーイベントに行ってきました! 今回はそれらの調査の成果をまとめてご報告。

[執筆者紹介]
藤本 由香里
評論家 明治大学国際日本学部教授
07年まで編集者として働くかたわら、コミックを中心に評論活動を行う。08 年から明治大学へ。
1年半のニューヨーク滞在、半年のシンガポール滞在を終え、2017年3月末に日本帰国。著書に『私の居場所はどこにあるの?』(朝日文庫)、近著に『きわきわ』(亜紀書房)、福田里香・やまだないと両氏との共著『大島弓子にあこがれて』(ブックマン社)など。

*なお、これらの調査はそれぞれ、科学研究費補助金・基盤A「コンテンツの創作・流通・利用主体の利害と著作権法の役割」(代表:中山信弘)、基盤B「Manga <style>の海外への伝播と変容」「BL等の表現の国際的な広がりと、各国での現実のLGBTとの社会的関係の国際比較」(いずれも代表:藤本由香里)の助成を受けています。

台湾の歴史と戒厳令下のマンガ文化

台湾は第二次世界大戦が終わるまで日本領でしたが、それは明治時代の1895年、日清戦争によって清国から割譲された時にさかのぼります。清はその後1911年、辛亥革命によって中華民国となり、1945 年に第二次世界大戦が終わると、台湾も中華民国に属することになりました。しかし、そのわずか数年後の1949年、中国共産主義革命が起こり、中華人民共和国が建国され、敗退した中華民国政府は台湾へと移住。台湾に戒厳令体制を敷きます。これが、1949年から1987年まで38年間に及ぶ、台湾の長い長い戒厳令体制の始まりでした。
この戒厳令は、台湾のマンガ文化にも多大な影響を与えました。戦後、台湾の漫画文化は隆盛を迎え、とくに武侠漫画が盛んだったようですが、これが「暴力的な描写が多く、子供に悪い影響を与える」というので、1966年に「漫画審査制度」が施行され、すべての漫画作品は事前検閲を受けてパスしないと出版できなくなってしまったのです。しかもこの検閲は厳しく、なかなか審査を通らない。描いても出版できないので、漫画家たちも次々と転業していきました。
いったいどうすれば審査を通るのか……? 漫画家や出版社が困り果てた中で一つのアイディアが生まれました。もしかして、台湾の漫画よりも子供向けに見える日本のマンガを下敷きにして、そこから畳や障子などの日本文化の要素(=当時は輸入が禁じられていた)を抜いて、台湾を舞台にして真似描きすれば審査を通るのではないか――?
はたしてこのアイディアは正解でした。日本の子供向けマンガ、とくに小学館の学年誌に載るようなマンガは、それまでなかなか通らなかった政府による厳しい審査をパスしたのです。
なかでも1975年、低年齢層向けの日本マンガを中国語訳して連載する『漫画大王』という雑誌が出版され大人気となってからは、この動きが加速されました。ここから次々と追随する作家や出版社が現れ、70年代末から日本マンガブームが起こります。こうして台湾では、日本マンガ(の海賊版)が、台湾の漫画を数の上でも圧倒的に凌駕するようになったのです。
もちろん、こうした状態が続くと、台湾の漫画界を日本マンガが席巻しているような状態はよくない、という反発「漫画清潔運動」が台湾の漫画家から起こり、検閲のスピードも遅くなって、日本マンガの海賊版はしだいに減っていきます。1987年にようやく戒厳令が解除されたことにより、「漫画審査制度」も廃止されることになり、日本マンガ海賊版が再び息を吹き返すのですが、実にこの検閲制度は20年以上も続いたことになります。
じつはこの時期の作品は、台北の台北市立図書館中崙分館に収蔵されていて、ガラスケースに入っている雑誌類も出してもらって自由に見ることができます。

ここで件の『漫画大王』をはじめとする雑誌や単行本をたくさん見ることができましたが、いやあ、めちゃくちゃ面白かった!
『漫画大王』はその表紙からして小学館の学習雑誌にそっくりです。小学館の学習雑誌は戦前から出されており、終戦までは台湾でも読まれていたわけですから、その影響もあるかもしれません。中身もほんと懐かしく、「え、えっ、こ、これは谷ゆき子先生のバレエマンガ⁉」(笑)、「えっ、これはもしかして川崎のぼる先生……?」「あっ、こちらにはウルトラマン!」という感じで、超面白い!
雑誌だけでなく、単行本も、日本で人気の作家さんたちの真似描きが多く、少女マンガでは里中満智子先生とか、懐かしいところでは、のがみけい『ナイルの鷹』の単行本なんかもある。男性向けでは劇画調の作品が人気らしく、さいとう・たかを先生の作品を下敷きにしたらしいものが目立ちます。
80年代になってくると写真製版が進んで、真似描きではなく、日本マンガの単行本を編集してオフセットで印刷した本が目立ってくるのですが、面白いのは、1冊で売れるように少女マンガの短編を編集したアンソロジー。たとえば『人魚公主』(人魚姫)と題された短編集では、表紙が「エースをねらえ!」で扉が柴田あや子、中身は山岸凉子で、広告は大和和紀、といった具合。『青春群像』と題された方は、表紙が大島弓子で中身は『はいからさんが通る』!。『美少年』という短編集の表紙は竹宮惠子で、扉をめくると山岸凉子……とか、面白すぎて時間を忘れてしまいます。

台湾は、海賊版脱却の恩人!

こう書くと、「ほんとにアジアは海賊版ばかりでひどい!」「著作権意識はないの?」とか怒り出す人がいるのですが、じつはこの時代に関してはそれは大きな誤解です。それどころか台湾こそが、日本マンガが海賊版時代を脱却し、正規版権の時代に移行するブレイクスルーを作ってくれた恩人ともいえる存在なのです。台湾の努力がなければ、海外で日本マンガが正規版で読まれるようになる時代はもっと遅れていたでしょう。
どういうことかと言えば、まず、台湾が日本マンガの正規版化に乗り出す90 年代の初めまでは、日本は海外に版権を輸出することにあまり積極的ではありませんでした。それどころか海外、とくにアジアの出版社が正式な版権契約を求めてきても、基本的には門前払いというのがデフォルトだったのです。
これにはいろいろな理由がありますが、当時はそもそも出版社に海外版権を担当する部署がほとんどなく、また60年代末から80年代にかけては、マンガ産業が倍々ゲームで発展していくような時期で、海外のことまで気にかけている余裕がなかったというのがあります。当時はまだ日本と他のアジア諸国の通貨価値の格差も大きかったので、事務の担当者は国内の契約業務等で手いっぱいで、手間がかかる割に儲けが少ない海外版権に人手を割く余裕がなかったのです。アジア全体が海賊版文化隆盛の中で、一つ二つ正規版を出しても、海賊版に対抗できないという判断もあったでしょう。
また、当時はまだ戦争の傷跡が大きく、アジア各国は日本の「文化侵略」を警戒していました。韓国・台湾・中国などかつて日本に植民地化されていた国では、日本文化の輸入そのものが制限されていました。台湾で日本文化の直接輸入が解禁されたのは、やっと1993年になってからですし、韓国などは1998 年になってようやく解禁。中国ではまだ、海外文化の輸入制限が続いています。
そしてそもそも、当時のアジアでは、万国著作権条約やベルヌ条約などの国際著作権条約に加盟している国の方が少なかった。
これもあまり理解していない人が多いですが、国際条約に加盟していない国は、道義上はともかく国際法上は、他国の著作権を守る義務はないのです。そして複雑な歴史を持つ台湾はそもそも「国」だと認められていないので、国際著作権条約に加盟することはできません。ただWTOに加盟すれば、自動的に国際著作権条約に従うことになり、90年代に入ってからの台湾は、このWTO加盟を目指していました。しかしいずれにせよ当時の台湾には、日本の著作権を尊重する義務はないわけですから、これらは正確には「海賊版」ではなく、「非正規版」だということになります。
しかしこの状況が変わったのが1990年代初めのことでした。1992年、台湾の著作権法が改正されることになり、これをにらんで、台湾の出版社たちがいっせいに、正規版権の契約を求めて日本を訪れることになります。じつはこの裏には、当時NIESとかNICKS(新興工業国/地域)と呼ばれて当時経済成長著しかったアジア諸国(具体的には韓国・台湾・香港・シンガポール)に対して、知的財産保護を求めるスペシャル301条項を背景にしたアメリカからの圧力がありました。このあたりの事情は、これからお話しすることも含めて、藤本由香里「アジアにおける海賊版マンガから正規版への移行過程と残る諸問題――台湾とタイの事例を中心に――」(中山信弘・金子敏哉編『しなやかな著作権制度に向けて』信山社所収)に詳しく書いていますので、興味のある方はそちらを参照してください(ただし高価な本なので、図書館に注文することをお勧めします)。
ともあれ、これらの出版社の動きを受けて「これはこれまでとは様子が違う」と日本の出版社も、今度は本格的に対応すべく動き始めます。まず講談社・小学館・集英社で3社懇をつくり(これはその後、4社懇、5社懇、7社懇、13社懇……と増えていきます)、いっせいに版権をおろすことで海賊版に対抗しようとしますが、ここで問題になったのが、台湾の漫画出版社がこれまで海賊版を出してきたということをどう考えるか、です。日本の出版社の社内には厳しい意見も多く、交渉は難航し、半年がたち1年近くなっても決着しません。

海賊版に対する姿勢は各社で少しずつ違ったのですが、一番厳しい要求は、海賊版の出版を即時停止し、今までに出版した商品もすべて回収して焼却。それができたら正規版権を下す、というものでした。
ここで決心したのが、台湾で一番大きな漫画出版社である東立出版の范萬楠社長です。「漫画審査制度」の中で転業せざるを得なかったけれど、元漫画家だった范社長は日本側の要求をすべてのみ、海賊版の出版を完全に停止し、すでに出荷した商品の回収・焼却も行いました。百人単位の社員がいて、商品を待っている流通や書店も多い中で、この決断はたいへんなことでした。毎日妻には泣かれるし、取次や書店からは抗議がくるし、ほんとうに苦しい日々だったようです。
しかしこの范社長の決断を受けて、日本側も本気になり、1992年夏、日本の大手出版社と台湾の漫画出版社との本格的な正式契約が実現し、東立出版は『少年マガジン』の台湾版として『新少年快報』を、『少年ジャンプ』の台湾版として『宝島少年』を出すことになりました。その後は、当時のもう一つの大手出版社・大然出版と共に、海賊版を扱う流通には商品を卸さないという方策をとることで、台湾にあふれていた海賊版マンガは、1年ほどで許容できる範囲まで消滅したといいます。
そして台湾との契約が本格的な口火を切る形で、アジア各国で日本マンガの正式出版契約が結ばれていくことになるのです。
台湾は人口2400万人弱の小さな島国ですが、なんとここからずっと、2000年代の初めにフランスに抜かれるまで、日本の版権輸出収入のぶっちぎりのトップであり続けてきました。
台湾には現地の漫画家さんも多く、日本マンガの翻訳も台湾の漫画も、数多く出版されています。台湾は、男女別に分かれた数多くの雑誌の存在といい、現地マンガの技術といい、世界中で最も日本のマンガ文化に近い存在です。それは、60年代末から80年代末という、日本のマンガが大きく成長し、技術を完成させていく時期に、同じマンガ文化を共有していたことが大きいのだと思います。
台湾で有名なマンガ・アニメストリートに西門町があり、有名なマンガ専門店に青蛙書店、有名なオタク街に、秋葉原のレンタルショーケースようなプラケースが並ぶ台北中央駅の地下街などがあります。台湾を訪れたらぜひ訪れてみてください。そこでは、私たちと基本を共有するオタク文化に出会えるはずです。

レインボーワールド~コミックワールド台湾!

さて、台湾は同人イベントもとても盛んです。
とくに有名なのは、ファンシーフロンティア(FF)とコミックワールド台湾(CWT)。どちらかといえば、ファンシーフロンティアが男性向け、コミックワールドが女性向けとされていますが、男女でぱっきりと分かれているわけではありません。
私は一番大きいファンシーフロンティアには参加したことがありませんが、コミックワールドの方には参加しました。2016 年12月10・11日に台大巨蛋體育館で行われた、このコミックワールド台湾44が非常に印象的だったので、今回はまずそのお話をしたいと思います。
私が訪れたのは12月10日。到着するとすでに入場待ちの長蛇の列ができていましたが、これはイベントでは見慣れた光景。しかし台湾で独特なのは、アニメキャラでデコレートした痛車のみならず、痛バイクがずらりと並んでいること。なかには痛自転車なんていうのもありました。
このイベントは国立台湾大学近くの大きな体育館の1階・3階・地下を使って行われたのですが、はっきり言って、すごくすごく楽しかったです! 一言でいうと、「晴海時代のコミケみたい!」でしょうか。
今のコミックマーケットはあまりに大きくなってしまったので、お目当てのジャンルを回りきると気が抜けて、もう他を見る気力があまり残っていないのですが(単にトシかも…)、CWT は、まだジャンルに分かれていなくて、出会いを求めて全体をいろいろ見て回れたあの頃のコミケみたいに、頑張れば一日で回れる会場に、さまざまなジャンルの作品が入り混じっています。
ちょうどこの時は「おそ松さん」全盛の頃で、すっごくシャレた作品がいくつもありました。たとえば六角形の同人誌で、アニメ風の絵とリアル風の絵それぞれで、6人の特徴を表現したもの。あるいは『星の王子様』の赤塚不二夫パロディで、「おそ松」たちが王子様に扮してさまざまな星を回っていくのに、それぞれの星に住むキャラクターがすべて赤塚キャラ(ニャロメとかチビ太とか本官とか、デカパンとか…)になっているもの。このサークルでは美しい銀色のショッピングバッグも付けてくれて、ブランドのショッパーみたいなかっこいいそのバッグをよく見ると、「おそ松さん」それぞれのキャラに合わせた「靴」が六つデザインされてあしらわれているのです。これには感動しました。
それからちょうど台湾の布袋劇を下敷きにした虚淵玄さんの『サンダーボルトファンタジー 東離劍遊紀』の第1期が終わった頃だったので、本家本元の台湾ではその同人誌も多かったですし、布袋劇の人形そのものもありました(私、この台湾の布袋劇を写真集で見て以来の大ファンで、その耽美な魅力のとりこになっています)。
また、『文豪ストレイドッグス』が流行っていたのにもちょっとびっくり。なぜなら、これはキャラ化されているとはいえ、日本の文学者を扱っているわけですから、元ネタになじみがないと受け入れられないのでは?と思っていたからです。しかしイベントを回っていると、台湾だけでなく東アジアではけっこう人気で、とくに台湾では、太宰治×中原中也の見事な同人誌が出ていたのに感心しました。
それに台湾では、実写映画のスラッシュ同人誌もけっこうあって、私の愛するスティーブ×バッキ―(好物!)とか、ハリーポッター同人誌などにもレベルの高いものが目立ちます。
可愛いグッズも、技術の高いオリジナルの同人誌も、ほんとにたくさんあって大満足で歩いていると、回っているうちに「あること」に気づきました。
主にBL 作品を描いているサークルさんの机机に、6色の虹の“レインボーフラッグ”が掲げられているのです。日本ではこんなの見たことない! しかもそのレインボーフラッグには「婚姻平権・人人平等」の文字が! 気がつくと、体育館の片方の壁にも、大きなレインボーフラッグが掲げられています。
思い切って、サークルさんの一つに「これは何?」と聞くと、「今日、同性婚を支援するための『結婚の平等を求めるコンサート』があるので、イベントが終わったらみんなでその応援に行くんです!」との返事。
感動しました。台湾で、アジアで初めて同性婚を認める法律が成立した後ろには、こうした支援もあったのですね。2016年12月10日のことです。
胸が熱くなると同時に、BLがこれほど盛んな日本で、どうして同じことができないのだろう?と、ちょっと寂しい気持ちになりました。いえいえ、日本の腐女子たちの活躍はまだまだこれから、のはずだと思います。
腐女子が、あるいは腐男子が、同性婚を支援していくについては台湾でも議論があったそうで、そこから運動が盛り上がっていくまでのことを、台湾交通大学のペイティ・ウォン先生が、2017年7月に神奈川大学で開かれた国際学会で発表されました。聞いていて、「あ、私もいた、あの日のことだ!そんないきさつがあったなんて!」とすごく興味深く、終わると駆けよって「私もあの場所にいました…!」とお伝えしたのも嬉しい思い出です。
ペイティ・ウォン先生のこの時の発表は、今年10月末に出たばかりの論文集、ジェームス・ウェルカー編『BLが開く扉~変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー』(青土社)に収録されています。この本には私も「おっさんずラブ」について書いていますし(しかし劇場版はがっかりした! はたして続編は…?)、BLファンにとってはものすごく面白い報告が目白押しなので、興味のある方はぜひお手に取ってご覧ください。

台湾の百合オンリーイベント!

じつは、このCWTと、その後参加した上記の神奈川大学の国際学会がきっかけで、今年から、「BL 等の表現の国際的な広がりと、各国での現実のLGBTとの社会的関係の国際比較」という研究プロジェクトを始めました。同性婚を認める法律が今年正式に成立した台湾は重要な研究対象なので、この10月19日、台北は三重體育館で行われたComic Horizonの百合オンリーイベントに行ってきました。
Comic Horizonは2016 年から始まったイベントで、年に1回は百合オンリーイベントとして開催しており、百合オンリーは今年で4回目になります。その前の2014・15 年には、別の主催者が開催するもう少し小規模な百合イベントがあったのですが、それが続けられなくなったので、16年からComic Horizonとして志を継承した、ということのようです。Comic Horizonの主催者は、GJ(グランドジャーニー)工作室。Comic Horizonは2016年に始まったイベントですが、GJ工作室が主催する同人イベント自体は2008年から開催されています。
一方、日帝時代の1930年を舞台とした、台湾初の歴史百合小説『花開時節』を書いた楊双子さんによると、台湾において百合文化がジャンルとして注目され始めたのは、2004 年に「マリア様がみてる」(=マリみて)のアニメが放映され、中国で、「百合會論壇」というのWebサイトができたのがきっかけだといいます。「百合會論壇」は、最初は「マリみて」からとった「山百合會」という名前だったようですが、そのうちに「マリみて」に限らず百合全般について語り合ったり、作品を発表するサイトになり、「百合會論壇」という名に改まりました。中国のサイトではありますが、半分くらいは台湾からの参加者だったそうです。

その後2007年から台湾で『マリア様がみてる』シリーズの翻訳刊行が始まり、百合がジャンルとして確立していきます(当初の翻訳の評判があまりよくなくて、途中で訳者が「百合會論壇」に翻訳を載せていた人に交代するという一幕もありました)。2014年から百合オンリーイベントも開始。コミックワールドはBLが多いですが、BLオンリーではありません。BLのオンリーはないのに、百合のオンリーはあるというのも面白いところですね。
2016 年にComic Horizonの百合オンリーが始まった時には9割が女性だったそうですが、今は女性と男性の比率は7:3くらいになっています。これは、「ラブライブ」等の人気が高まってきたことも背景にあり、百合オンリーとはいえ、厳密に女性同士の愛に限るわけではなく、女性キャラクターオンリーでも可。「けいおん」とかの世界ですね。実際、サークルさんも女性が多いとはいえ、男性の売り手さんも1 ~ 2割はいたように思えました。
朝早く入ったのに油断してお昼を食べに行ったら、買うつもりの同人誌が昼過ぎにはもう売り切れていたりして、午前中が勝負の、人の多い活発な同人誌即売会だということを実感。
日本で百合というと、商業誌ではあまり絡みは出てこないことが多いですが、これは同人イベントなので、絡みのある作品も一定程度あります。蛇女の百合とか、百合の触手ものとか、目をひいたので思わず買ってしまいます。
片方で『百合漫歩』など、女の子二人が連れだって台湾の名所を歩いて回るというエッセイ漫画的な作品もあって、これは台湾観光案内としてもいい。ほかに「男装の麗人」的な作品や、すごくキャラの立った二人の本格的なマンガ作品もあります。全体にオリジナル作品が多く、二次創作が少ない印象でした。
同性婚関連では、同性婚カップルのための部屋のレイアウトをデザインするというゲームがあり、そこにはレインボーフラッグが掲げられていました。でも今回は、思ったより同性婚関連の作品は少なかったようです。
おりしも、その次の週末には台湾レインボーパレードが予定されており、空港にも横断幕が掲げられ、ポップカルチャーの街・西門町の道路には、大きくレインボーのペイントが掲げられ、観光スポットになっていました。さて日本は? 東京オリンピックに向けてさらに変わっていくのか、そこを超えたあとはどうなのか、未来に期待を託していきたいと思います。