はじめに
1988年に至るコミケットの発展と問題意識を中心に
吉田正高(以下、Y):
前々回のコミケットカタログで書かせていただいた拙文でも触れましたが、88〜89年に宮崎勤による大きなインパクトのある事件があって、その波紋がコミックマーケット(以下、コミケット)や同人誌という領域にどのような影響を与えたかということを、準備会共同代表の市川孝一さんと同人誌文化に詳しい三崎尚人さんにお聞きしたいということで、このような対談の場を設けていただきました。まず、宮崎事件があって、オタクのマイナスイメージが広がったわけですが、その一方で「オタクという人々がいて、独自の文化がある」と注目するという流れがあったと思います。つまり、オタク文化が一般文化に入り込んでいって、アングラだったオタク文化の強制的なボトムアップが図られる、みたいな時代構造があったと思うんです。それに対して、宮崎事件がもしなかったとした場合、コミケットとか同人誌とかはどんな歴史をたどっていったのか?というあたりから始めたいのですが。
市川孝一(以下、I):
架空戦記みたいな感じですかね?
Y: そうですね。要するにコミケットや同人誌文化というものが、89年〜91年ごろに自然とオーバーグラウンド文化のほうへ向っていく状態になっていたか?というのが一番知りたいところです。
I: 一般文化に近いところには向かったでしょうね。覚醒が早まっただけでしょうか?
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