■「日本の子供」はまだまだ健全!?
増田:あと、日本の子供の健全さって、将来なりたい職業がものすごく多様に分散していることではないでしょうか。欧米や中国、韓国などの子供たちの場合、80%以上が金と名誉のある仕事。たとえば一流会社の社長とか、弁護士とか、医者とかになりたいって集中するらしいんですね。それはもう明らかに病める社会の姿で、大工さんとか電車の運転手になりたい人間もいるっていう方がはるかに健全な社会だといえますよ。
助手:親の仕事を継ぎたい、っていうのも、日本独特の職業観ですよね。
増田:それに、ありとあらゆる職業を取り上げているのも、日本の漫画の特徴ですね。
助手:日本の漫画でもうひとつ特徴的なのは、レディスコミック、A5版の読みきりムック本がものすごく大量にあり、内容も多様なことではないでしょうか?。日本くらい幅広い年齢層、あらゆる女性のタイプに応じた漫画があるということが、海外では描き手にも読み手にもとても衝撃的なことらしいんです。
増田:そういうレディスコミックがマーケットとしてきちんと成立しているのは、年齢を理由にして「漫画を卒業しない」人がいっぱいいるってことですよね。世界中どこでも、子供のころから青年くらいまで漫画を読んでいても、その先は卒業してしまう人が圧倒的なのに対して。それは知的水準の問題として、トップレベルは高くないけれども、ものを読む習慣程度は維持している人たちが圧倒的に多いし、そういう人たちにとって、漫画は一度読むペースをつかんでしまうと、文字だけのコンテンツに比べてはるかに早く読めるし、その辺をひとつの読書習慣として保持しやすい。歳を取ってくると雑用が多くてまとまった本を読む時間はないけれども、漫画にしてあれば、活字だけの本で読むことの数分の1の時間で読めるというマーケットが連綿と続いている。それはすごく良いことだと思います。
■世界を変える同人文化??
共信:去年の12月で、コミックマーケットが30年を迎えたわけなのですが、同人のなかで行われているこのような表現に、可能性を感じますか?それとも、すでに行き詰まっていると思いますか?
増田:可能性は常にあると思うんですが、現状、内部がシステムとしてあまりにも育ってきすぎて類型化しているのでは、という感覚もあります。あれだけ大きなものになるとジャンル別っていうのはやらざるを得ませんが、逆に表現自体がジャンルに規制されるような段階に来ているのかな、と思うのですが…。それぞれのジャンルに定番的な表現方法がつきまとっていて、たとえば吾妻ひでおのすごいところは成熟した性的な表現をまったくの童女のキャラクターにやらせたことだと思うんですが、そういった冒険がある程度出尽くしてしまってそれぞれのジャンルに吸収されていて、そのジャンルを破るような表現が難しくなっているのかもしれません。ただそれはもう描く人の気力とイマジネーションの問題で、逆にそういうジャンルが少しずつ固定化しているからこそ、その殻を破るようなものが現れれば絶対に面白いはずなので、可能性は常にあると思うのですが、やりたいことはやりつくしてしまったのかな、という印象は持っています。
共信:「会社は何もしないでいると30年で潰れる」という説(会社30年説)がありますが、コミケットもこのままでは、そろそろピークなのかとも考えられますが。私としては、無くなってほしくないんですけれど…。
増田:最悪なのは、コミケットが夏と冬の「風物詩」というか、年中行事として続いてしまうことでしょうね。そうなったら危機的状況でしょう。
共信:男性向けのH本や、ある種の同人誌を買うだけだったらコミケットでなくても手段はいくつかある。そういう世の中になってしまったんですよねえ。
増田:日本の同人をやっている子たちくらい、前衛なのに前衛意識を持たないで、普通にやっている子たちっていないですよね。運動としていまやっていることは、世界的にみてもとても新しいものを作り上げてしまったのに、当の本人たちには、そういう大それたことをやっているという意識がまったくなくて、自分が好きなことをやっていたら、いつの間にかこうなってしまった。海外でおたく文化を積極的に評価して取り入れようとしている人たちというのは、明らかにそれぞれ自分の国の中での選民だと思っているでしょうね、自分のことを。その差はものすごく大きいことだと思います。
助手:一方でベネチアビエンナーレなんかをみると、新しいことをやっているという評価をされる一方、逆に日本の伝統、文化・文政のころからやっていることだ、なんていう人もいます。
増田:客観的に美術史から評価したりすると、要素としては何一つ新しいことはないわけだから、それはもう日本の文化・文政のころからの滑稽本の世界がそのまま連綿と続いてるものだ、なんていわれるわけです。でも生活のあり方まで全部ひっくるめたおたく的な存在っていうのは、今までなかったものが突然世の中に出現してしまったんだと思いますけどね。それはひとつの面では、日本の社会がいわゆる「定職」を持たなくても何とか生活していける豊かさを持ち始めたころに、自分は何に熱中できるのかを、ほかのことをあんまり考えずにやみくもに追求してしまう一群の人たちが生まれて、その人たちのライフスタイルっていうのが、いままでの世界には存在しなかったようなライフスタイルだったと。自分はまったく選民思想も前衛意識も持っていないけれども、あり方としてはまったく新しいものを作り出してしまったというのは、美術史家の発想にはまったくない部分だと思います。
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